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福岡高等裁判所 昭和32年(ネ)166号 判決

控訴人 中山酉蔵

被控訴人 日本国有鉄道

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の本訴請求中当審における拡張部分を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し金三百三十五万七千円(当審における拡張部分をふくむ)およびこれに対する昭和三十年三月六日より完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用および認否は、控訴人において「訴外岩下義雄は九一二列車の車掌として乗務中鳥栖駅および博多駅において本件掛軸六幅を探索するよう連絡を受けながらこれを発見せず、盗難の危険にさらしたまま終着駅である門司港駅まで運び去り、しかも同駅においてようやく空車内に右掛軸を発見しながらなおこれを控訴人に引渡さず徒らに四日間も放置した。右過失も亦さきに主張した二つの過失と共に、控訴人が右掛軸を売却する機会を失する原因となつたものである。なお右掛軸六幅の価格は狩野探幽筆三幅が合計金二百十万円、富田溪仙筆一幅が金四十万円、小室翠雲筆一幅が金八万円、岡熊嶽筆の一幅が金一万円であるところ控訴人は本件事故のためこれらの掛軸を売却する機会を失し、価額の三割に相当する金七十七万七千円の得べかりし利益を喪失し、又控訴人が紛失した図鑑目録三冊中には岡熊嶽筆の一幅を除く五幅の図鑑があつたので、その紛失により右五幅は著しく市場価格を減じ、その価格はいずれも金一万円程度に過ぎなくなつたから、控訴人は図鑑目録の喪失により合計金二百五十三万円の損害を蒙つたわけである。よつて以上の損害額ならびに本件事故により紛失したその他の物件の紛失による損害額金五万円を合算した金三百三十五万七千円およびこれに対する昭和三十年三月六日より完済まで年五分の割合による遅延損害金につき当審において拡張請求する。」と述べ、当審証人定直一義の証言を援用し、被控訴代理人において「控訴人が小倉駅で九〇九列車に乗車した際久留米駅で一旦下車するつもりであつたことは不知である。又控訴人が当審において新たに提出した過失および損害額についての主張はいずれもこれを否認する。」と述べ、当審証人岩下義雄の証言を援用した外、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

被控訴人が鉄道事業を営むものであり訴外岩下義雄は被控訴人に雇われ車掌の事務に従事しているものであること、ならびに控訴人が昭和三十年三月五日小倉駅より九〇九列車(門司港発久留米行普通列車)に乗車した事実は当事者間に争がない。そして原審証人中山久重(第二回)の証言および原審における控訴本人の供述によれば、控訴人は右九〇九列車に乗車する際、自己所有のエルジン十七石入金側腕時計、金銀細工物、ラクダシヤツ上下、ワイシヤツ、化粧用ケースおよび後記掛軸用の図鑑目録三冊等を一包にした風呂敷包一個ならびに狩野探幽筆三幅、富田溪仙筆一幅、小室翠雲筆一幅および岡熊嶽筆一幅以上合計六幅の掛軸を一包とした風呂敷包一個を携えていたのであるが、列車が鳥栖駅に停車した際、掛軸入りの風呂敷包は網棚の上に載せ、雑品入りの風呂敷包は自己の座席に置いて、偶々鳥栖駅より乗車した女学生に監視方を依頼して下車し、プラツトホームの売店でワサビ漬を買求めた上再び乗車しようとしたところ、列車の扉が自動的に閉つて発車したため、控訴人は遂に同列車に乗りおくれ、やむなくその直後に到着した熊本行準急一〇七列車に飛び乗り久留米駅に向い同駅で右二個の風呂敷包を探索したが発見することができず、その後掛軸六幅入りの風呂敷包は門司港駅で発見され右事故の四日後に控訴人に返還されたが、雑品入りの風呂敷包は遂に発見されず紛失した事実を認定することができる。

控訴人は先ず「控訴人が鳥栖駅で九〇九列車に乗り遅れたのは該列車の同駅停車時間は僅かに二、三分しかないのに、これより先前記岩下車掌が同列車の折尾駅を通過した頃検札をしながら控訴人に対し唯一言『鳥栖駅で四十分時間がある』旨案内したので控訴人は右の案内を信じてプラツトホームに降り買物をしたためであり、同車掌が斯様な不完全な案内をした過失により前記事故が発生したものである」と主張する。そして原審証人中山久重(第一回)および原審における控訴本人の供述によれば、岩下車掌が当時右のような趣旨の案内をした事実を認定できるもののごとくであるが、一方原審証人岩下義雄(第一、二回)の証言によれば、同車掌は検札に際し控訴人が瀬高町行の乗車券を所持して久留米行の九〇九列車に乗車しているところから、瀬高町までゆくには久留米駅で乗り換えてもよいがその乗り換えるべき日奈久行列車は鳥栖駅始発であつて同駅で乗り換えるのが便利であるので控訴人に対し「日奈久行に鳥栖で四十分の待合せである」旨案内した事実が窺われるのであつて、以上相反する証拠のいずれを措信すべきかこれを決すべきかこれを決すべき他の証拠は存せず、証拠の優劣はにわかにこれを定めることができないのである。したがつて岩下車掌が控訴人に対し右のいずれの案内をしたかは結局これを確実に判定し難いというべきであるが、いずれの案内をしたとしてもこれをもつて同車掌の過失と解することは困難である。勿論右の二通りの案内、殊に前者の表現が簡単に過ぎるということは争えず、より適切な表現は他に考えられるのであるけれども、検札時における案内は多数の乗客に対し短時間内になされるべきものであるから、いきおい簡単な表現になることもやむを得ないところであり、呈示された乗車券の字句、関係列車の性質等当時の状況と相俟つてその解釈が可能である限り、前記のような表現をもつてしても一応足るとしなければならない。既に説示した通り控訴人は瀬高町行の乗車券を所持して久留米行列車に乗車しているのであるから、乗車券の字句からだけいえばいずれかの駅で乗り換えることになるのは当然であるし、又検札の際乗客から特に尋ねられもしないのに単に或る特定の駅の停車時間のみを案内することは通例考えられないところであるから、このような事情を考慮するならば、岩下車掌が控訴人に対してなした案内が前記二通りのいずれであつたにしてもそれはおのずから「この乗車券の示す通り瀬高町まで行くならば鳥栖駅で乗り換えるのがよく、同駅で四十分の待ち合せ時間がある」という趣旨に解釈することができるのである。もとより列車の乗客はその所持する乗車券の示す通りの乗車をするとは限らず、場合により途中下車ないし乗越等をすることもあり得るのであつて、控訴人も当時久留米駅で途中下車する予定であつたことは原審における控訴本人の供述により認められるのである。しかしこの点も、検札時の案内が短時間内に処理されなければならないことを考えるならば、乗客がその所持する乗車券の示す通りの乗車をすることを一応前提として案内のなされることはやむを得ないところであり、若しそれにより乗客側に疑問の点が生じたならば乗客の方から更らに車掌に対してその点を問いただすべきであろう。このように考えて来ると、岩下車掌が検札の際控訴人に対してなした案内は特に誹議すべきものとは認め難く、したがつてこれを同車掌の過失とする控訴人の主張は採用することができない。

次に控訴人は「岩下車掌は久留米駅において執務中、控訴人が雑品入り風呂敷包の監視を依頼していた女学生より右風呂敷包を届出でられたにもかかわらずその処置を放擲した過失がある」と主張する。そして原審(第一回)および当審における前記岩下証人の証言ならびに原審における控訴本人の供述によれば、岩下車掌は前記九〇九列車が終着駅である久留米駅に定時より約十三分遅れて到着した後、中年の婦人乗客から手提袋を紛失した旨の申告を受けて同人と応待中、女学生らしい者から「乗客の荷物を預つたがその人が取りに来ない」旨の申告を受けたが、丁度さきの婦人乗客と応待中であり、且つ附近に助力を求むべき係員もいなかつたため右女学生にはしばらく待つて貰うよう話した上、車内において手提袋の探索に従事したけれども、当時既に門司港行九一二列車(前記九〇九列車の折り返し)の乗客が車内に乗り込み混雑していたためもあつて発見するに至らず、やむなく下車してみると既にさきの女学生は見当らないので監視を依頼した乗客が女学生に発見されたものと考え、そのまま九一二列車の発車事務に従事し同列車に乗車して定時に発車した事実を認定することができる。したがつて右女学生が届出た荷物というのは控訴人の携行した風呂敷包であつたと推認されるのであるが、岩下車掌が女学生から右申告を受けた際同車掌は前記認定の通り他の事件につき乗客と応待中であつて、しかも助力を求むべき係員も附近にいなかつたのであり、又右申告にかかる荷物は盗難品又は遺失品ではなく他の乗客より監視を依頼された品物であつて右女学生が一応保管しているというのであるから、手提袋を探索する間女学生にしばらく待つて貰つたことは格別非難すべき処置ということはできない。又同車掌が手提袋の探索を終えた後、女学生の姿が見当らないため監視を依頼した乗客が女学生に発見されたものと考えたことも、荷物の性質が前記の通りである以上必ずしも不合理な考え方とはいえない。のみならず九〇九列車が延着した結果九一二列車の久留米駅発車までの時間が通常より短縮されたことは当然であり、この間乗務車掌として折り返し発車のため諸般の準備が必要であるから、女学生の所在をあくまで突きとめなかつたことも強いてとがむべきこととは考えられない。しからば岩下車掌に女学生の申告に対する処置を誤つた過失があるとする控訴人の主張も亦採用することができない。

次に控訴人は「岩下車掌は九一二列車の車掌として乗務中鳥栖駅および博多駅において本件掛軸六幅を探索するよう連絡を受けながらこれを発見せず、盗難の危険にさらしたまま終着駅である門司港駅まで運び去り、しかも同駅においてようやく空車内に右掛軸を発見しながらなお控訴人に引渡さず、徒らに四日間も放置した過失がある」と主張する。そして本件掛軸六幅入りの風呂敷包が門司港駅で発見され右事故の四日後に控訴人に返還されたことはさきに認定した通りであり、又岩下車掌が九一二列車の車掌として乗務中鳥栖駅で同駅乗客係から右掛軸入り風呂敷包を探索するよう連絡を受け、車内を点検したが発見するに至らず、終着駅である門司港駅においてはじめて空車内にこれを発見したことは原審(第一回)および当審における前記岩下証人の証言によつて明らかである。しかしながら更に同証人の右証言について審究するのに、岩下車掌は鳥栖駅において「右風呂敷包は前から二輛目の車の網棚の上に忘れられたものであり、一尺か二尺位の長さのものである」旨の連絡を受けており、同車掌は直ちに探索に着手して二輛目の車をはじめ、一輛目および三輛目の車内をも探したのであるが、当日は多客で車内持込み荷物の極めて多かつた関係もあつて発見するに至らず、博多駅に到着した際同駅の公安係に対し荷物が見当らないことを鳥栖駅に連絡するよう依頼したのであるが、門司港駅到着後空車となつた三輛目の車の網棚の上に長さ約三尺の風呂敷包を発見し、その大きさがさきに探索依頼を受けた荷物と異なるところから、これが依頼を受けた荷物であるとは速断できず、且つ九一二列車も亦遅着しており、同車掌は同列車が折返して発車する九一三列車にも乗務することとなつていたため、右風呂敷包の中味を調査する余裕がなく、やむなくこれを門司港駅の遺失品係へ引継いだが、その際念のため若し中味が掛軸であつたなら鳥栖駅にその旨連絡するよう依頼した事実を認定することができるのであつて、右認定を左右するに足る証拠はない。しからば岩下車掌が九一二列車に乗務中本件掛軸六幅を探索するよう連絡を受けながら門司港駅に到着する以前これを発見することができなかつたのは、連絡の趣旨に従つて探索に努めしかもこれを発見するに至らなかつたものであつてまことにやむを得ないところであり、又同車掌が門司港駅で空車内に右掛軸入りの風呂敷包を発見しながら直ちに控訴人にこれを引渡さなかつたことも前記認定の状況より見て同車掌の責に帰すべきものとは考えられない。したがつて控訴人のこの点についての主張も亦これを採用することができない。

してみれば本件事故発生当時の岩下車掌の行為には過失と認むべきものがないわけであるから、その過失を主張して同車掌の使用者である被控訴人に対し損害の賠償を求める控訴人の本訴請求は、本件事故により控訴人の蒙つた損害額その他爾余の争点に対する判断をなすまでもなく、失当として排斥すべきである。

よつてこれと同趣旨の原判決は正当であつて本件控訴ならびに控訴人の当審における請求拡張部分は理由がないからいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用し、主文の通り判決する。

(裁判官 川井立夫 高次三吉 佐藤秀)

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